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    かけはし2021年2月1日号

旧秩序に修復不可能な裂け目


タイ

鋭角化する対立

絶望的退行に敢然と立ち向かう
若者の創造的革新能力に連帯を

ピエール・ルッセ

民主主義運動と体制の対立激化

 タイの情勢は急速に展開し続けている。国王ラマ10世は、彼に有利に憲法を修正し、王室財産を支配下に置きつつ、クーデター扇動の歴史をもつ二つの歩兵連隊を彼個人に付属させ、軍の一定部分に対する彼の支配を強化しようとしている。王宮は古くさい儀式を再び取り入れ、硬直さを進行させ、ますます絶対王制への回帰を夢見ているように見えるような、そうした保守的な秩序と若者たちの間の溝を深め続けている。当局は、民主主義運動の指導的人物に対する不敬罪の法的罪状適用にあらためて頼ろうとしている。当局は、王制の新しい執政官的な守り手であろうと目標を立て、クーデターの可能性に向けて準備中だ。
 タイの親民主主義運動は非常に系統的にその闘いを継続中だ。それは11月25日、王室財産が置かれている銀行(シャム商業銀行)の前でデモを行った。この資産は、ラマ10世が彼自身の利益のために私物化した公的資産であり、これまでは財務相が管理していたのだ。またこの運動は11月27日、バンコク中心部で反クーデター演習を挙行し、元々は2014年に発行された抵抗手引き書を再配布した。この運動はさらに11月29日、君主が彼の個人的保護に所属させ、彼の直接的指揮下に置いた二つの歩兵連隊の一つが駐屯する兵舎の前で集会を組織した。
 反乱は広がり続け、そこには、まだ極めて圧倒的に少数派だとはいえ、給与を払われている労働者の一定部分も含まれている。

王室と軍の力関係に重大な変化


 タイで真の権力を保持している者は誰か――君主か軍か――? この疑問への回答が論争されている。それは国王のソフトパワー(および彼の巨大な富)だろうか、それとももっと見えるものである、それに有利に諸制度を形作る軍の能力だろうか? それがどちらであり、あるいはあったかにかかわりなく、王国の安定性が依存している力の均衡は今日緊張下に置かれている。
 タイでは、国王が軍隊の公式の首座にあるが、しかしそれは、彼が軍に実体的な支配権を行使しているということを意味しているわけではない。ラマ10世の父親であるラマ9世(ブミボン・アデゥルヤデジ)は、上級将校の昇進に直接、あるいは間接的に影響を及ぼした。しかしながら、1950年代以来「物理的」権力の連続性を本質的に確保してきたのは軍だ。彼の息子は今、あらゆる証拠から見て、軍―王室体制内の力関係を彼優位に修正しようとしている。
 ラマ10世は2017年に彼自身の主導により、政府の3機関の地位を変え、それらを一般法から外した。それらはそれ以来、「王室の希望」に従った。ここには、王室一族とその協力者たちの保護と賛美に関係するあらゆることを任務とする王室安全保障司令部が含まれている。マハ・ヴァジラロンコルンは元戦闘機パイロットとして空軍所属だが、貧弱な装備のこの空軍にはほとんど重みがない。重みがあるのは歩兵なのだ。それゆえ、2019年に国王の下に決定されたように、バンコクを任地とする歩兵第1連隊と同第11連隊は今彼の直接的指揮下にある。ラマ10世はその上で、王室警護隊の首座に彼の親類(王妃のスティダを含んで)を配置した。彼はそうすることで、自身を王室の安全保障と既成秩序の保証者であると考えている、その軍に亀裂を入れる危険を犯している。
 親民主主義運動は11月29日、自身が第11歩兵連隊兵舎の前にいることに気づいた。その入り口と塀は有刺鉄線に覆われていた。何台かのバスもある種のバリケードとして機能していた。デモ隊はそのバスを脇に押しのけ、反政府決起の中の2010年における流血の弾圧を思い起こさせるために赤ペンキを投げつけた。一つの声明が読み上げられ、「軍を含んで可能なあらゆるやり方で(彼の)君主大権を拡張した」として国王を告発し、元軍司令官の首相、プラヤト・チャン―オチャを君主の「忠実なわら人形」と呼んだ。この声明のコピーが紙飛行機の形に折られ、兵舎を防護している機動隊に届けられた(注1)。再びユーモアと皮肉だ!
 この運動の主要なスポークスパーソンの一人であるパリト・「ペンギン」・チワラクは、第1と第11歩兵連隊は「過去に住民弾圧に関与した。彼らはクーデタ―でも中心的な役割を演じた」と公然と言明した(注2)。

不敬罪適用への踏み切り

 政府は、大衆を思いとどまらせる法的な武器を再び利用しようとしている。それが不敬罪の「罪状」、恐れられている112条であり、それは王室一族、その執政官、またその協力者をあらゆる無礼から「保護する」。この法は、3年から15年までの投獄刑を科すことができる。1人に対してはいくつかの罪状がまとめられ、終身刑相当にまで達する可能性もある。タマサート大学とサナム・ルアングにおける9月19―20日の抗議行動と結びつけて、親民主主義運動の指導的人物12人が不敬罪罪状の最初の対象にされた。最新ニュースによれば、彼らの状況は以下の通りだ。すなわち彼らの5人は11月30日に、彼らに公式に出された訴追を受けるために、彼らの弁護士であるクリサダン・ヌトチャルスとノラサテ・ナノントオムと共に警察署に出向いた。他の3人は召喚された。他の者たちは召喚を待っている。恐れられることは、一層高まる数のデモ参加者に対して不敬罪告発がこれから利用される、ということだ。

クーデターの可能性との対峙

 クーデターの可能性はあらゆる者の心にある。極右民兵とウルトラ王党派の動員は極めて懸念される兆候だ。少なくとも55人(実弾による者6人を含む)の負傷者を残した11月17―18日の日々の中で、デモ参加者に対する暴力は一線を越えた。11月25日には再び、集会はさまざまな事件で刻まれた。正体不明な諸々の攻撃によって群集が何回か発砲を受け、解散時点で2人の軽傷者が出た。抑圧部隊が用意する手段は次第に数を増している。
それに対して親民主主義運動側は、非暴力のイニシアチブ厳守を示し、空気で膨らませた黄色のアヒル(黄色は君主制の色にほかならない!)という防護具の下に、嘲りを政治的武器へと変えている。ちなみにそのアヒルは、集会の印として、また警察の放水銃の前に立つ防護壁としても、その両者で役立っている。
早くも次の動きを予想して、民主主義運動側は、ある種のクーデターという起こり得るできごとに向け準備を整えようとしている。それは一つの非常時という形で、以下のことを呼びかけている。つまり、ストライキと学生ストライキの即時発動、空の乗り物やデモによる主要道路の封鎖、こうして民主主義と憲法に対するあらゆる攻撃を公然と弾劾することに対するその準備を示している。11月25日の集会の中で、発言者たち(あからさまに黄色のアヒルで装った)は次々と演壇に向かい、特に抵抗を反乱に変えようと声を上げた。「2014年にクーデターが起きた。住民がもし大挙して決起していたならば、プラヤトは(権力の座に)とどまっていることはできなかっただろう」(注4)と。
2014年に発行され今日再発行されている対クーデター抵抗手引き書もまた、1週間ゼネストの組織化を提案している。いかなる形態でも軍事独裁への協力を拒絶するため、兵士を民衆の側に招き入れるため、納税拒否のため、銀行からの現金引き出しのため、……としてだ。現在、労働者も諸決起に参加しているが、おそらく基盤は周辺的なものだ。一定の労組活動家には、軍やウルトラ王党派や黄シャツへの反対という実体的な伝統がある。彼らは諸々のデモの中に、個人としてあるいは労組隊列として、特に私企業部門(自動車、織物、その他)から姿を見せている。不安定職の労働者たち(街頭商、など)もまた彼らの共感を示している。

若者と王室間の溝は拡大一方


運動は道義的秩序への挑戦も広げつつある。タイ社会には、慣例と服従を強要し、個人関係と言葉を形作り、住民の日々のふるまいを統制する、古くさい階層化された慣行が染み込んでいる。それらへの挑戦は多くの形を取っている。たとえば、学校や大学に制服で登校することや、卒業式典における「礼節」という服装規則を尊重すること、への大衆的な拒否がある。「悪い生徒」や「KKCパキー生徒」のグループは、このやり方で「自身の体への支配」を取り戻すことを続けるこの闘いを訴えてきた(注5)。多くの場合に制服が求められているが、その費用は貧しい家族にとっては容易に法外なものになり得るのだ。いくつかの学校と大学の当局は、この拒絶の深さを前にそれに屈服している。
大規模な総体的な反乱には典型的に、その抑圧力を失ってしまった窮屈な道義的秩序に対するこうした拒絶が伴われる。その各々でもまた、耐え難くかつ持続不可能にもなってしまったこの道義的秩序にその基礎を置いている政治システムへの異議突き付けと、「日々の暮らし」に関するこうした反乱が組になっていた。以前の論評ですでに議論した(注6)諸々の理由のために、妥協や実質的な改革のあらゆる見通しに対する保守勢力の「拒否戦線」は、特に硬直化している。今日一層明確に見えていることは、ラマ10世が今日実際に、その将来が絶対君主制になる退行的な改革を推し進めようとしている、ということだ。
象徴とふるまいの点では、彼は将軍たちに、彼の王座の前で足下に這いつくばらせた(文字通りの意味で)。彼は、国王の一夫多妻制を公式システムに回復させた(そしてこれを通して関係を否定された彼の元妻の1人を復帰させ、王妃とはっきり区別された君主の「配偶者」としてハーレムに加えた)。
2016年に死亡した彼の父親、ラマ9世も確かに、君主の憲法的地位を尊重したことは一度もなかった。しかし今日ラマ10世ははるかに多くのことをしようとしている。彼は絶対的主権者(君主の御心)としてふるまっているのだ。彼は一つ一つと個人的権力を積み上げ中であり、彼には資金の用意を含めそうする手段がある。
タイ王家の資産は、考慮に入れられる資産の範囲次第で、300億ドルから600億ドル(250億ユーロから500億ユーロ)と見積もられ、それは彼らを世界でももっとも裕福な王家にしている。ラマ10世は2018年、彼自身の君主の意志で、それ以前は財務相が管理していた公金、宮内庁資産を、個人的に管理すると決定した。そして、君主制の資産と彼の個人的富の境界を消し去った。これは、彼の父親の時代の現実ではなかった。プラチャタイ電子版によれば、2020年に国家が宮内庁に配分した予算はおよそ300億バーツ、約8億3000万ユーロになるが、以前よりももっと多額になっていると評価されている。
彼は今や彼自身の指揮下に強化された王室警護隊、および近年のクーデターで中心的役割を演じた歩兵の2連隊、を抱えている。彼はそうすることで、軍からその主要な大権の一つ、つまり王家の安全の保証者であるという大権、を取り上げた。しかしそれは、象徴(住民内部でのその権威を正統化する)としての重要性以上に、軍が王室を制御することを可能にしていたのだ。
ラマ10世は、彼が今行い続けているように権力を掌握することによって、民主主義運動が求め続けているもの(君主制の立憲主義的性格を認めること)とは反対の道に向かっているだけではなく、一定数の側面で君主制近代化の精神をも撤回する途上にある。ちなみにこの精神は、チュラロンコルン国王(チャクリ王朝のラマ5世)――1868年から1910年までシャム(タイの元国名)の国王――が彼の治世期終盤に着手したものだ。そして彼は、この王国を近代世界に引き入れた1人と見られている。

ラマ10世には対処不可能な情勢


ラマ10世は王家の顔を変えることができ、その権力を増やすこともできる。しかしながら彼に社会を変える力はない。タイにおける危機は、保守的な諸制度と若者たちの間に大きく開く一方の分断から巻き起こった。マハ・ヴィジラロンコルンはこの分断を広げるために彼ができるすべてのことを行いつつあり、むしろそれをさらにもっと大きくすらしている!
結果として体制の危機は深まることになった。しかしながら体制的危機は、二者のための、すなわち政府(権威主義者の)とその敵対者(民主的な)のためのゲームとして演じ切られることはあり得ない。その危機は、エリートとブルジョアジー内部で、軍の諸部隊内部で、階級関係の中で、諸地域内で働いているあらゆる緊張を鋭角化しているのだ。それは、対抗文化と抗議の諸イデオロギーの展開に向けて、社会運動の刷新に向けて諸々の空間を生み出している。
人は、新旧の多くの前例を探すことができる。そこでは、硬直化した体制が、ありそうもない、予想外の、一時的な勢力ブロックによって打倒されたことがあった。タイで起きるかもしれないことについて遠くからあれこれ推測することは役に立たない。その歴史があらかじめ書かれたことはないのだ。
しかしながら一つのことは確実だ。つまり親民主主義運動は、持ちこたえ革新するその能力によって、軍―君主制秩序の支配に大口を開ける裂け目をつくり出した。それは、その回復力と創造性で驚かせることを決して止めなかった。われわれはその運動に、それがすでに成し遂げたことで敬意を払い、それがまだ成し遂げる可能性があることに向けてできる限りそれを支援することができるだけだ。(2020年12月2日)

(注1)レベッカ・ラトクリフ、バンコクにて、ガーディアン、2020年11月29日「タイの抗議行動参加者、バンコクの王室警護隊兵営に向け行進」。
(注2)AFP、2020年9月29日による引用。
(注3)ピエール・ルッセ、「力試しに向けて」。
(注4)プラチャタイ、2020年11月28日、「人々が反クーデター演習実行のために主要交差点を占拠」。
(注5)プラチャタイ、2020年12月2日、「生徒たち、制服を着ずに登校し物議を醸す」。
(注6)特にピエール・ルッセ「民主主義運動、タイの既成秩序を攻撃」を参照。ギレス・ジ・ウンパコルン、ジャコバン誌、2020年11月26日、「タイの民主主義運動の回帰」をも参照。(「インターナショナルビューポイント」2020年12月号)





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